セピア色の心電図 -2ページ目

別の川

僕はこの川で、どんな魚が釣れるのかなんて知らない。そもそも、魚がいるのかすら知らない。

だけど、今、僕は釣り糸を垂らしている。夕暮れ時。アスファルトは冷たく、既に座っている感触はない。後ろを家路につく人たちが通り過ぎていく。

僕の住む町はそれほど大きくない。自転車さえあれば、生活全般は事足りる。数年前までは、色々と不便だったらしいが、その頃の事はあまり知らない。

大学を卒業し、不動産の関係の会社に入った。ついこの間の事だ。別に興味があった分野ではなかったが、何となく「街づくり」はしてみたかった。そうすれば、その世界の一員として、認められるような気がしていたからだ。夢や希望と胸を張って言えるほどのものではないが、馬鹿にされる覚えもない。ただ、曖昧なイメージだった。

この町へやってきたは、そんな時だった。一人暮らしは大学の頃からしていたが、初めてこの町を歩き回る時、はじめての時のような足取りの軽さはなかった。隣でうるさく言う人もいなかった。僕は一人だった。

寂しくなかったのかと問われれば、嘘になる。フレッシュマンにありがちな社会のジレンマに僕ももがいた。曖昧なイメージは、2ヶ月でハッキリとしたノルマとして、目の前にあった。それを隣でやさしく聞いてくれる人もいなかった。僕は一人だった。


僕は一人だったのか?釣り糸が風に揺れるのを見て、考える。すぐに思い当たり、風はやんだ。

ただ、一人になりたかったのだ。

正直言えば、妙に色んな声をかけられる事が多かった。何かにつけ、「最近どーよ」なんて、どーしようもないメッセージが僕の元に届いた。僕はそれを返したり、返さなかったりした。

別にどうもしない。どうしようもないものの前に僕らはいたから。通り雨のように、そんなどうでもいい言葉は飛び交わなくなった。皆、何かを分かっていったのかもしれない。

ちょっとは分かっていく事に憧れたりもしたが、本当にそんな事はどうでも良かった。もっと別の事を話したり、聞きたかった。とにかく別の何かを。

釣れる気配はない。人通りも少なくなってきた。飲みかけのコーヒーを口にするが、もう外の空気と変わらない冷たさだ。

辞めたのは、3ヵ月後。おとといの事だ。上司は何か引き止めたいのか、僕の将来を心配しているのか、どーでもいいのか、適当にありきたりな言葉を口にした後、荷物をまとめるように促した。

いい天気だった。のらりくらりとした電車に乗って、この町に帰ってきた。覚えたてのパチンコにも行く気はしなかった。いつも吠えられる犬も、小屋の前で寝てた。水道工事もやっていなかった。

時間は止まっていた。


その時動いていたのは、目の前にある川の流れだけだった。きらきら光る水面だけが、僕が一員になりたかった世界の一部に思えた。


今、何か感触があったような気がする。何かを訴えているような気がした。手の感覚はもうない。

僕は釣竿をあげた方がいいのだろうか。何が僕に関わったのか確認した方がいいのか。世界が僕に関わったのを知るべきなのか。

僕には分からない。分かりたくない。
僕は一人だ。一人になりたい。
暗闇が視界を奪った頃、僕は家路に着く。

別にどうもしない。