寝転んだり、歩いたり | セピア色の心電図

寝転んだり、歩いたり

彼女の話を聞いたのは、日にちが丁度変わる頃だった。

斎藤はその後、飲めない酒を煽りながら、長々と自分語りを始めた。最終的には転職する決意が固まったという事になっていた。

彼女の話じゃなかったのかよ。僕はその呆れ具合を隠しながら、彼を近くの駅まで送り、自分も帰路についた。

果たして、先ほどまでの時間はなんだったのだろう。後を引きずらない後悔とともに、足早に家に急ぐ。

丁度、家の前の公園の前に差し掛かった頃、携帯電話の呼び出し音が鳴った。

僕は家についてから電話に出ればいいかと思い、公園を跨ごうとしたが、着信の相手を見てとどまった。斎藤の彼女、キョウコからだった。


キョウコを斎藤に紹介したのは、僕だった。彼女は大学時代の一つ下の後輩で、同じゼミに所属していた。中々聡明な子だという認識以外もっていなかったが、ある時の飲み会で、同じヒップホップのアーティストが好きだという事が分かり、僕らは少しゼミ生とは別のところで、関心を持つようになった。


「私はベースの音が好きなんです。ライムの下に隠れる音が好きなんです。言葉の意味とかメッセージ性を、本当に支えているのがベースの音なんです」


僕はまあ、同意したような、お茶を濁したような、とにかく分かった様なふりをして、彼女の笑顔を促した。

僕は彼女の事が好きになった。

そのアーティストの来日ライブが有明の方である。その事を教えてくれたのは斎藤だった。チケットを取ってもらい、その受け渡し場所で彼らは出会った。

僕はいなかった。今から思うと、なんて強がってしまったのだろう。とにかく、二人で出歩いてしまったら、僕は僕に歯止めが聞かなくなると思ってしまったのだ。さらに、会うのが高校からの友人、斎藤ならなおさらの事だ。キョウコとの間柄を、僕はもう一度、認識するチャンスを得てしまう。

そう思って、待ち合わせの場所のメモをキョウコに渡し、僕は足早に駅に向かった。もう、5年も前の事になる。


彼女の電話は切れる事無く、僕の手の中で鳴っている。僕は親指でそのボタンを押した。

(続くのか?)